村田沙耶香(1979年生)による小説作品。初出は『文學界』2016年6月号。その後文藝春秋より2016年7月27日に単行本が発売。2016年には、第155回芥川龍之介賞を受賞。
近年の話題作だけあり、ネット上のレビューも膨大な数に及びます。アマゾンのレビューも執筆時点で640件、読書メーター上では7800件超・・・。
先行する『殺人出産』『消滅世界』等の作品では、出産やセックスのもつ、幸福で(普通の意味での)神聖なイメージをぶち壊す世界観を提示する挑発的な作家として知られていましたが、芥川賞受賞で広く大衆に読まれることになったこの作品。読者はどう受け止めたのでしょうか?
『コンビニ人間』に対する著名人の書評
倉本さおり氏の書評(産経ニュース)
「何で結婚しないの?」「何でアルバイトなの?」-無遠慮に聞く「普通」の側を見透かす目
〈私〉は「普通」をコピーすべく、周りの人間たちのふるまいを注意深く観察する。例えば、何でわざわざ語尾を伸ばして喋(しゃべ)るのか? 何で怒りに協調すると皆が喜ぶのか? それらが無意味で不気味なルールだと自覚しているぶん、〈私〉のほうが真っ当なのではと思わせられてくる。
村田沙耶香といえば、本作のように奇抜な人間像や強烈なディストピアを描く作家というイメージが強い。だが三島賞受賞作『しろいろの街の、その骨の体温の』を読めば、印象が一変する。そこで丁寧に拾いあげられているのは、ありふれた社会の残酷さの中で、どうにか「普通」に息をしようとする人たちの声だ。
www.sankei.com
坂上秋成氏の書評(週刊読書人ウェブ)
個人のジェンダー的変化によっていともたやすく崩壊する秩序
異常とされる主人公が普通に生きるための空間として、コンビニという身近な場所が矯正施設のように機能しているという現代的寓話性をここに読み取ることは容易である。しかし本作の文学的達成は、そうしたシステムが、矮小な個人のジェンダー的変化によっていともたやすく崩壊する過程を描き切った点にある。
(中略)
古倉の考えとは無関係に、コンビニというシステムは彼らの同居によって狂い始めてしまう。それまでは店員としてコンビニ空間に奉仕していたはずの人たちが、古倉と白羽の関係についてワイドショー的な興味を示し始めることで、秩序はあっさりと崩壊する。それはまさしく、均質化された店員を産み出し続けてきた労働空間の裏で、常にオス―メスというジェンダー的規範が機能していたことの証左でもある。古倉が理想としていた秩序は、ささやかな性的トピックの侵入を許しただけで壊れるほどに脆いものだったのだ。
dokushojin.com
鴻巣友季子氏の書評(ALL REVIEWS)
ネックレスをスープで煮よ
芥川賞受賞作の『コンビニ人間』でも、泣きだした赤ちゃんを妹が慌ててあやすと、ヒロインはそばにあった小さなケーキナイフを見ながらこう述懐する。
《(赤子を)静かにさせるだけでいいならとても簡単なのに、大変だなあと思った》
あるいは、同棲中の男が借金を踏み倒して逃げてきたことがわかり、義妹に怒鳴りこまれても、「白羽さんは義妹さんにまったく信用されてなかったんだなあ、としみじみ思った」。こういうドラマチックな箇所で、わざと淡泊に、呑気に流すことで、そのギャップに批評性を滲ませるという「技法」だと解釈していたのだが、作者にしてみれば、たんに自然な感慨なのかもしれない。それはそれで、大変な資質である。
allreviews.jp
冷泉彰彦氏の書評(ニューズウィーク日本版)
芥川賞『コンビニ人間』が描く、人畜無害な病理
しかも一人称独白体(ファーストパーソン・モノローグ)を選択していることで、その言動は明らかに非常識であるにも関わらず、書いている視点は常識人という分裂が埋め込まれています。これに加えて、語彙の選択を含めた文体についても、とにかく「引っかかり」を無くすように、突出した個性が出ないように注意が払われています。その結果として、流れていく時間は極めて凡庸な感じになるように設計されています。
(中略)
確かに、コンビニにしか「居場所」がない人間であるとか、自分は「性交は不気味で気が進まない」という人物を「意味」や「論点」を込めて提示することになれば、そこでは「聞き飽きた退屈な社会派的ディスカッション」が誘発されてしまうわけです。
(中略)
とにかく「どこかで聞いたことのある」ような「論点」は徹底されて排除されています。価値の相対化をやってはいるものの、それを突き詰めることはしない、そこで身体性のリアリティーの世界に立脚して居直るのでもない、例外的な人間を描いて凡庸な社会常識に一撃を加える気などもさらさらない、という「徹底したニュートラル志向」は見事と言えます。
www.newsweekjapan.jp
『コンビニ人間』のAmazonレビュー
あまでうすさんの感想
現代資本主義のミューズ
彼女はコンビニという高度に発達した資本主義の極北を体現した超優良な労働力商品なのであるが、そういう自覚は全くないし、彼女にとって冷徹なメカニズムの部品であることが「疎外された労働」ではなく、むしろ生甲斐であると感じるような物神崇拝的感受性を懐いている点が興味深い。
小説のラストで主人公が久しぶりにおのれの中のコンビニ人間性と再会し、大いなる喜びを実感するシーンは感動的ですらあって、その神神しい姿は現代資本主義のミューズと呼んでもいいかもしれない。
投稿者:あまでうす(2018年2月13日)
7110さんの感想
社会学的な視点で読むと面白い
本書の魅力は、大衆社会のシステムから外れることに対する切羽詰まった不安や危機感ではなく、コンビニというありふれた舞台に不思議系の主人公を立たせることで生ぬるい安心や安定感として描いているところと、それでも主人公の古倉は大衆社会の象徴であるコンビニの部品になることこそが自分らしく生きることだとして昇華しているところ、つまり大衆社会における生き方を逆転の発想で描いているところにあるのだと感じた。
投稿者:7110(2016年9月22日)
『コンビニ人間』の読書メーター
mnt1983さんの感想・レビュー
ほとんど一つの臨床事例として読んだ。ある。ありうる。いかに部品たることから逃れひとつの個を確立するかに躍起になる人間もいれば、いかにいち部品として世界に組み込まれうるかを追求する人間もいるということだろう。前提からして「普通」とは異なるが、その切実さに是非もない。
白羽はある意味ケアラーかもしれないがパターナリスティックかつ自己中(自己保身の為に、自ら拒否する価値観を他者に押し付ける)で、最後にその「保護」下から脱し超ハッピーエンドと読んだ。
コンビニ人間 mnt1983さんの感想 - 読書メーター
『コンビニ人間』のまとめ
村田沙耶香の作品では、ぼくたちの社会では「異常」とされる人物を主人公として立て、彼女から見た世界を語らせることで、「正常」とされる価値観の異質さを逆照射する手法が繰り返し採用されています。読み手に通常とは別の視点を与える、という文学作品の大きな魅力を味わえる一冊といえそうです。